本の棚

れっつ 読書/Instagram@honnotana

『女生徒』 太宰治

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

寒い寒いと言っているうちに、もう春が近づいてきて、うっかり更新しないまま2月が終わって3月がきてしまいました。新たなスタートをきる目前。今回は、実は以前から書きたい(オススメしたい)と思いながら、恐れ多くて書けていなかったこちらの作品を。ついに解禁します、させてください。

 

f:id:aykaaam:20170305130819j:image

『女生徒』 太宰治

(角川文庫・定価440円+税・ページ総数279頁)

 

言わずと知れた文豪、太宰治

太宰、と言うだけで、熱狂的ファンの方がぐっと身を乗り出してきそうで、「お前ごときが太宰を語るのか」と言われそうで、恐れ多かったのですが、この本とっても面白いのでオススメさせてください。(太宰ファンの方は温かい目でよろしくお願い致します。)

 

今このブログを読んでいただいている皆さんも、一度は教科書などで触れたことがあるのではないでしょうか。そして先ほど述べました熱狂的ファンの方がいる一方で、“太宰治”と聞くだけで、「あ、苦手です」という方もけっこう多いのではと思います。私も以前はそういうタイプでした。

古めかしい

難しそう

理解できなさそう

いわゆる純文学である太宰治の著作は、『走れメロス』など“陽”の作品は別として、『人間失格』などの“陰”の作品に対してこうしたマイナスイメージが付き物ですが、彼の描く、一見暗く湿度の高い人物たちの言葉や行動には、案外現代の私たちの心に響くものがたっぷりと含まれています。

 

14篇の短編からなる本作品。

自分や周囲に対して揺れ動く女学生の多感な心情を描いた表題作「女生徒」をはじめ、

他者からの評価と自己評価の狭間に苦しむ「千代女」、

名声を得た夫が変わりゆく様子を妻の視点から描いた「きりぎりす」

などなど。それぞれ様々な境遇の女性たちが登場します。

 

これらすべてが各主人公の女性の独白体で書かれており、すべてが彼女たちの主観のみで描かれています。誰に飾ることもなく、私たち読者に“告白”してくる彼女たち。つまり、とってもリアルです。

恋人や夫、家族、友人、手の届かない人との関係を通して、彼女たちがもつ哀しみや愛情、執念深さ、強かさが色濃く描かれています。めっちゃ(特に男性読者にとっては)恐そうですよね。

 

けれど、こうした描かれ方だからこそ、この少女・女性たちは、しっかりと現実感をもって(実際にこうした女性たちが(今も)いるのだという実感をもって)わたしたち読者の前に現れ、彼女たちの時に恐ろしくも、力強く真っ直ぐな言葉にはプスッと読み手の心に刺さるものがあるのです。

 

 

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。人々が、よいと思う娘になろうといつも思う。たくさんの人たちが集ったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持ちと全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。(「女生徒」P.32)

 

「女生徒」にて、主人公の少女が通学の電車の中で、ふと考える一コマ。 

もちろん現代はこの時代よりも男女ともにきっとかなり生きやすくなっているし、自分らしく素敵に生きている人もたくさんいます。けれど程度の差こそあれ、多くの人がなんとなく共感してしまうものが、この文章には大いにあるのではないでしょうか。そして共感してしまう人にとって、この文章はちょっぴり痛いのでは。(それこそ私の主観ですが。)

 

他にも彼女たちが吐露する言葉は様々です。怒りや悲しみや迷いに満ちたものがあれば、喜びや自信に満ちたものもあります。

 

 

昔には昔の、今には今の生活があり世間があります。

けれど、おそらくよっぽどの自信をもって生きていない限り、こうした言葉を通して見える彼女たちの姿には、時代を越えてどこか理解できるものがあるのでは、理解できずとも認めることのできるものがあるのではと思います。

(個人的には男性が読んでどう感じるのかちょっと興味があります)

 

 

「純文学」「太宰治」というだけで敬遠せず、ぜひ一度手に取って読んでみてください。そして手に取ってみたものの開いていなかった方もぜひ。ご一読を!

 

 

P.S.

近年は、各出版社で、「純文学を“若者受け(どちらかというと女子向け?)”させよう」という運動もあるのか、太宰治作品をはじめ、純文学の装丁がかなりお洒落でかわいくなっています。ファッション感覚で好きな表紙のものを買うのもアリかもしれません。