『私の男』 桜庭一樹
初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。
だんだん朝晩が涼しくなってきました。
秋の気配ですね。月並みですが、“読書の秋”です。
本が読みやすい季節です。良い季節です。
そんな秋が近づいている今日この頃、
少し肌寒い日にじっくり読んでほしい、中毒性のあるこちらの一冊をご紹介。
(文春文庫・定価670円+税・ページ総数451頁)
ご存知の方も多い作品ではないでしょうか。
第138回直木賞受賞作である本作品。浅野忠信さん、二階堂ふみさんにより実写化。2014年に公開され、そちらでも話題になりました。
この本を紹介しようという身でお恥ずかしい話ですが映画は観ておりません。
ので、そちらの感想は何とも言えませんが、こちらの本はいろんな意味で心に残らざるを得ない一冊になるかと思います。
結婚を目前に控えた腐野花(くさりのはな)と、その養父であり、異様な雰囲気をもつ淳悟。
物語は花婿の元へ向かう花へ淳悟が傘を差しだす場面から始まる。どこか奇妙で危うい二人の関係が見え隠れする中、時はどんどん二人の過去へと遡り――
極寒の北海道・紋別、日本海を背に、孤独な親子が成し得てしまった“家族”の形とは。彼らが求め続けた“愛情”の形とは。
お察しのとおり親子の禁忌が描かれていますが、「禁断の愛」なんていう陳腐な言葉ではなかなか片づけられない、かなり引力のある作品です。
常に嫌な感じが付き纏い、二人が抱えるもの、纏うものは、途中吐き気を覚えるほど濃厚になっていきます。それでも離れられず読み進めてしまう。
この本の大きな魅力のひとつは、人物描写にあります。
花と淳悟の描写は、時に読む者の心をすっと掴む。
私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。日暮れよりすこしはやく夜が降りてきた、午後六時過ぎの銀座、並木通り。彼のふるびた革靴が、アスファルトを輝かせる水たまりを踏み荒らし、ためらいなく濡れながら近づいてくる。店先のウィンドウにくっついて雨宿りしていたわたしに、ぬすんだ傘を差しだした。その流れるような動きは、傘盗人なのに、落ちぶれた貴族のようにどこか優雅だった。これは、いっそうつくしい、と言い切ってもよい姿のようにわたしは思った。(p.8)
物語の冒頭。淳悟の登場シーンは、かなり印象的なものです。
わたしは手袋をしたまま、三つ編みに結んだほそい白いリボンをほどいた。胸の辺りまでのばした黒い髪を、きつく編んでいたので指でほぐして、首を左右に振った。かじかんだ手から、リボンが風にさらわれて、飛んだ。見上げると、湿った冬の風にあおられた黒髪がぶわあっ・・・・・・・と勝手に意思を持ったようにうごめいて、舞いあがり、わたしの顔を隠してしまった。(p.201)
花と淳悟を脅かす人物との対面直前。まだいくぶん幼い花の描写。
他人に否が応でも嫌悪感や気持ちの悪さを抱かせる関係にありながら、二人の姿は他人の目を奪う。それは読者に対しても例外ではありません。
また、この本の特徴のひとつは過去に遡る時系列になっていること。
私たち読者は、まず最初に彼らが最後にどうなるか知ってしまっているわけです。
その上でもう戻れない二人の過去へと歩みを進めなければならない。
過去に遡ることで謎が紐解かれる面白みもありますが、
時を遡れば遡るほど、花と淳悟を知れば知るほど、膨れ上がる切なさがあります。
全てを知ったあなたが最後の一文を読むとき、何を思うか。
線を引くことは、わたしたち人間には、むずかしい。
なんだって、そうだ。(p.255)
冬の紋別。真っ白な銀世界の中で、凄まじい程強い気持ちと、相反する無力さを兼ね備えた二人の親子の姿は、一読の価値大いにありです。
是非に。
P.S.
桜庭さんの描く「少女」はかなり魅力的なので、もしこの作品を読んで気になった方はぜひ他の作品も読んでみてください。
ちなみに桜庭一樹さんは女性で、そして美人です。