本の棚

れっつ 読書

『百人一首という感情』(最果タヒ)

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

前の更新から1年経ってしまいました。

1年の間に世の中は大変なことになっていますね。いろんなことが起こって、いろんなことが制限されて、うう…っと、気持ちが疲弊してしまいますが、本の中は自由ですからね。どこへだって行けます。時代を超えて、千年以上前の世界にだってこんな形で触れることができる。

今回紹介するのはこちらの一冊。

 

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百人一首という感情』最果タヒ

リトルモア・定価1,500円+税・ページ総数299頁)

 

※持ち歩きすぎてボロボロですが、大目に見てください。

兵庫県神戸市生まれの現代詩人、最果タヒさん。

『死んでしまう系のぼくらに』、『十代に共感する奴はみんな嘘つき』、実写映画化された『夜空はいつでも最高密度の青色だ』など、ポップで切ない世界観で数々の詩集を出され、その他、エッセイや作詞など様々な作品を手がけています。

(詩にあまり触れてこなかった私ですが、最果タヒさんの詩集は装丁が良くてですね、思わず手に取ってレジに行き、気づいたら本棚に数々の詩集が並ぶようになりました。詩もいいんですが、あとがきが!これがまた良くてですね・・・!!ぜひ詩集も読んでいただきたい。)

 

ただ、今回紹介するのは、詩集ではなく、一風変わったエッセイです。

『千年後の百人一首』で百人一首の現代語訳を手がけた著者が、今度は百人一首を案内していくのが本作。

重要なのが、決して「解説」ではなく「案内」であるということ。

 

皆さんは「百人一首」と聞いて、どんなイメージをもちますか。

私なんかはすぐに、学校の教室で黒板の前に立つ先生の話を、あくびをかみ殺しながら聞いていた思い出がよみがえります。一句一句を分解して現代語訳をして、技法を覚えて、テストを受けて正解を求めていく・・・

多くの人が義務教育の中で触れてきたであろう「百人一首」そのものは、多くの人にとって、私と同じ「勉強」という形でのみ身近にあったのではないでしょうか。

 

しかし、この本を読んだときに目の前に現れるのは、その奥にいる読み手である「人」の感情や感覚、その確かな体温です。

ドラマや映画の主人公、小説やマンガの登場人物、イヤホンから流れるロックを歌う歌手、そういった、私たちが日々の暮らしの中で「そこにいる」と感じ、少なからず感情移入する人々。

それと同じように、和歌には必ず読み手がいて、その読み手がその歌を詠むに至った感情の動きや出来事の経緯がある。しかもその読み手は、フィクションじゃなく、実際千年前にここ日本に実在していて、そこには解説も、正解を求めることも不可能な「人」そのものがいるという感覚。そしてそこで描かれる感情や感覚はやはり自分と同じ「人」であるということ。考えればすごく当たり前のことですよね。でも、なかなか実感はしにくい。

その感覚が百人一首句一句に最果タヒさんならではの文章とともに寄り添う中で、自身の中に広がっていく面白さ。ぜひ体感していただきたいです。

 

この本では、千年の向こうがわで生きていた彼らの感情に触れていくことで、見えたもの、思ってしまったことをエッセイとして綴っています。記録でもなく、伝説でもない。歌だからこそ残っていた、白黒つけられない人々の感情。それを前にして、私から溢れていく言葉。よかったら一緒に、彼らに会いにいきましょう。(P.3 まえがき)

 

またこの本が良いのが、先ほどちらっと書いた最果タヒさんならではの文章でして。

まず、心地よい。やはり詩を書く方だからなのか、エッセイでありますが、その句点読点の打ち方・リズムがとても心地良いです。

そして、その言葉の選び方や運び方の随所から(他の作品でもそうなんですが)言葉を本当に大切にしていらっしゃる方なんだなぁと感じられるところ。歌に込められた読み手の感情然り、その受け手である著者が抱く想い然り、すべてがはっきり言葉にできるものではないと著者自身で断言した上で、その絶妙なニュアンスや空気感を、何もごまかさず、言葉を尽くしてきちんと私たち読者に伝える巧さ。

ぜひ実際に本を開いて、味わっていただけたら。

 

 

千年の時の隔たりはどうしようもなく変わらずそこにありますが、読み終わった後、どこか敬遠しがちだった百人一首は、私たち読者の前に、今までになく血の通った姿を見せてくれるのではないかと思います。そしてこの読後感は、他の解説本を読んでも得がたい体験かと。

 

 ・・・私がまったく知らない人、それも千年も前の人たちに、共感するということがどうしてこんなにも心地よいのか。それは、私たちもまた、いつか千年前の人になるからかもしれない。時代が変われば、世界が変われば、時が流れていけば、毎日を覆うようにやってきたさみしさも喜びも、とても小さく見えるだろう、歴史として記録されていくうちに、あってもなくてもいいものとして、切り捨てられていくのだろう。政治の決定だけが、時代を牛耳ったものだけが、歴史として残っていく。私たちのほとんどは、きっと、そんなところに入り込むこともなく、消え失せていくのでしょうね。

 忘れ去られたものがいくつもある。この千年の間に。(中略)それでも、歌は残っていた。歌を通じて、その瞬間を、何度も、何度も、平安の人々は感じていた。記憶が歴史に変わっていく中で消されてしまった「感性のまたたき」。けれど、歌は。たった五百年じゃないか。たった千年じゃないか。小さな悲しみも怒りも、個人的な恋愛模様にも、歌は、そう告げてくれる。(P.293)

 

どこか重苦しくピリピリしている今の世の中で、千年前の人たちの想いから、わたしたちが何かを取り戻せるかもしれません。

 

お時間あるときにぜひ。

 

P.S.

この本、表紙といい、中の紙といい、手触りがとてつもなく良いです。

素敵装丁なので、ぜひ書店などで実際に手に取ってみてください。