本の棚

れっつ 読書/Instagram@honnotana

『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』 くどうれいん

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

久しぶりに書きます。書きたいと思っている本はたくさんあるんですが、相変わらず追われる毎日なので、今回はその中でも私の気持ちをぴゅんっと跳ね上げさせてくれたこの一冊をご紹介。もうすぐ春だし、フレッシュに。目まぐるしく変わっていく3月の日々の中で、なにかを見つめ直すきっかけに。

 

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『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』くどうれいん

(BOOKNERD・定価 税込1000円・ページ総数77頁)

 

挑戦的な題名と、緻密な挿絵のついた表紙に目が行くこちらの一冊。

歌人であり食を愛する作者が、食とともに綴る日々の記録。ジャンルで分ければ「食のエッセイ」となるんでしょうか。

綴られているのは、作者が大学生である2016年6月と社会人になった2017年6月の2か月に、彼女が考えたことや経験したことと、その日々でいつもそばにある「食」というもの。

 

わたしがこの本を読んで、最初に抱いた感情は、率直に「うらやましい」という気持ちです。

 

描かれる題材はなんてことのない日常。1人の女子大生が、1人の新社会人が、平凡に暮らす中で経験する日常。別に何か特別きらびやかな日常を送っているわけでも、私が望んでも手にいられないような生活を送っているわけでもありません。なんなら中にはわたしも同じ体験をしたものだってあります。作者と同じように悩んだり怒ったり喜んだり笑ったりしたことがあります。

仲のいい後輩との一幕

コロッケ屋さんでアルバイトをしていた時の話

深夜のコンビニで買うスイーツの尊さについて

などなど。よくある、当たり前の生活。

 

そうした日々に、ふと心に浮かぶ何気ない感情。わざわざ言葉にもしない、うっかりすると刹那に消えてしまう、でもそこに確かにあった感情。たぶん、実は、けっこう大事だったりする感情。それを作者は、実に鮮やかに軽やかに表現してみせる。

うーん、うらやましい。わたしも、こんな風に自分の感情を記録できたら・・・なんて考えてしまいます。

 

 

眠る前、わたしは彼女と手をつないだ。彼女と行ったいくつかの素晴らしい喫茶店のこと、野球観戦をしながら大きなコーラを飲んだこと、シャガールの絵を見てくふくふ笑ったこと、水鉄砲を買って川遊びをしたこと、フルーツポンチをこしらえて夏の芝生に寝そべったこと、これ家出ですと言い張って彼女が泣きそうな顔でわたしの家に泊まりに来たこと、ゆっくり思い出しているうちに寝てしまった。ずっと高校生だと思っていたわたしたちはもう大学生で、たぶん、こんな感じで、あれ、と気づいた時には大人になっているのだろう。不思議な気持ちだった。別れ際に彼女は泣いたけれど、わたしは泣かなかった。

(P.14 年下の水鉄砲に撃たれてやる)

 

 

 

わたしには泣いている人の慰め方がわからないし新宿の雨のにおいもわからない。けれど、こうして電話が来ることはうれしい。どうか、おいしいものを食べて元気を出してね。雨なのか泣いているのかわからない音を聞きながら、わたしはからっぽの宇宙船で静かに角煮弁当を完食した。

(P.31 夕立が聞こえてくるだけの電話)

 

 

 

ここに描かれているのは「生活」というよりは「生きること」と表現する方が正しいような気もします。

そして作者が生きる中で必要とするのが食。2016年6月に作者の1人暮らしを楽しませ(時に困らせた)のも食、2017年6月、日々に追われ食欲不振にもなった作者を立ち直らせたのも食。

 

読んでいて思うのは、わたしたちは食がなければ生きられないよなぁという当たり前のこと。

それは単に栄養摂取という意味ではなくて、食べる時間に何かを考えたり何かを忘れられたり、誰かと食べることで、誰かとつながることができたり。そうやって、生活に当たり前にある"食べること"から、わたしたちは何かを得て、また生きていくことができる。

  

どれだけつらくても、おいしいお寿司はおいしい。なんだか滑稽だった。わたしはいままで何に悩んでいたのだろうか、とすら思えてくる。舌がしあわせになると、脳みそは勝てない。おいしい日本酒とともに、かなしみの輪郭が鈍くぼやけた。

「君には少しくらい、苦労が必要だったのかもしれないね」帰り際、詩人は意地悪に笑った。「でも、気にしなくていい。君が味方につけるべき人間は、もう君の味方だから」

そっか~、と笑う。そっか~って思うからまた傷ついちゃったりするんだろうか。0番線で終電を待ちながら、羽もないのに肩甲骨をずっと触っていた。

(P.58 星涼し地球の石を蹴って帰る)

 

 

生きていく中に必然のものとして、「食」があるという当たり前を思い出し、実はそれが当たり前でありながらかなり貴重であったかいものなんだぞ、と気づかされる一冊です。

 

ちなみに。

装丁もとても良いです。表紙の手触りも良いし、この本の世界にぴったりな絶妙な分厚さと色合いの紙、読みやすいフォントや行間。こだわり抜かれた装丁なんだろうなと、私なんかはにやけてしまう装丁。

あと、挿絵が超すてき。

 

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(P.23 六月のミラーボールに暴かれて より)

 

ぜひご一読くださいませ。

 

 

P.S.

作者と縁ある人物の対談が末尾に載っておりますが、作者の人柄が見えて面白いです。もし彼女が傍にいたらお友達になってみたい。実は年も近いし。と勝手に思っています。