本の棚

れっつ 読書/Instagram@honnotana

『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』 宮崎夏次系

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

書店などに行って棚に並ぶ膨大な数の本を見る度に、すべての本を読み尽くすことなどできないのだと、なんだか脱力して、同時にまだまだ知らないものばかりだなと、ワクワクします。そんな幅広い本がある中、前回のがっつり純文学とは打って変わってこちらの一冊。このブログでは初の漫画を紹介します。

 

f:id:aykaaam:20170501232312j:image

『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』宮崎夏次系

講談社 モーニングKC・定価640円+税・ページ総数222頁)

 

『夕方までに帰るよ』で連載デビューを果たし、その後、同作をはじめとした数々の単行本を出し、その独特の世界観から全国の書店員からも注目を浴びている漫画家、宮崎夏次系の第三の作品集。

ある日、死んだ愛犬のケージに入ってしまった父とその家族を描いた「リビングにて」

両親を失った男子学生が抱く、“大切なもの”を描いた「明日も触らないね」

過去の事故を共有する二人の女の子の再会を描いた「わるい子」

など、九編の作品が収録されています。

九つに共通して描かれるのは、“さみしさ”。

 

人がもつ「どうしようもないさみしさ」を、どうしようもないまま、素直に描いているこの作品。九編はそれぞれ舞台も登場人物もてんでバラバラですが、登場する人物は皆、面倒で、しんどくて、切なくて、でもどうしても断ち切ることのできないさみしさを抱えています。そんな彼らの(読者の)「どうしようもなさ」を肯定も否定もせず、ただ認めてくれる、そんな作品です。

 

そうした内容の中で、圧倒的な迫力を生んでいるのが、作者の一見幼稚とも言える絵と数少ない言葉です。一つ一つの話はごく短いものなのに、その迫力にあっという間に心かき乱される感覚。

 

作者の絵は、決して上手ではないし、人物や背景どれをとっても緻密な絵とは言えません。どちらかというと荒々しく、言ってしまえば雑なほどの絵の数々。けれど、彼女の描くそうした人物たちの表情は、緩急のある動きは、こちらに息の仕方を一瞬忘れさせるようなところがあります。 

まさに、漫画だからこそ出せる魅力。絵の力がかなり強い。

例えば、「明日も触らないね」の見開き1ページ、あの娘の前で傘が開いたあの瞬間。あの2コマで何かグッと胸につまる感覚は、この漫画を読むことで初めて体感できるような気がします。

 

そして、そうした絵とともにぽつりと出てくる言葉は、何食わぬ顔で読み手の心を奪う。

好きなものは世の中にいっこでいい

失くしたらおしまい

そんな感じの

 

(P.9 第一話「明日も触らないね」)

 

他ジャンルの本ではなかなか真似のできない、漫画ならではの表現力をぜひ他でもないこの一冊で実感してもらいたいと思います。

これまでに無い漫画、ぜひご一読を!

 

 

P.S.

この世界観にハマりそうな方は、ぜひ宮崎夏次系作品を借りるのではなく購入していただくことをお奨めします。読み返したくなる作品、多しです。

 

『女生徒』 太宰治

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

寒い寒いと言っているうちに、もう春が近づいてきて、うっかり更新しないまま2月が終わって3月がきてしまいました。新たなスタートをきる目前。今回は、実は以前から書きたい(オススメしたい)と思いながら、恐れ多くて書けていなかったこちらの作品を。ついに解禁します、させてください。

 

f:id:aykaaam:20170305130819j:image

『女生徒』 太宰治

(角川文庫・定価440円+税・ページ総数279頁)

 

言わずと知れた文豪、太宰治

太宰、と言うだけで、熱狂的ファンの方がぐっと身を乗り出してきそうで、「お前ごときが太宰を語るのか」と言われそうで、恐れ多かったのですが、この本とっても面白いのでオススメさせてください。(太宰ファンの方は温かい目でよろしくお願い致します。)

 

今このブログを読んでいただいている皆さんも、一度は教科書などで触れたことがあるのではないでしょうか。そして先ほど述べました熱狂的ファンの方がいる一方で、“太宰治”と聞くだけで、「あ、苦手です」という方もけっこう多いのではと思います。私も以前はそういうタイプでした。

古めかしい

難しそう

理解できなさそう

いわゆる純文学である太宰治の著作は、『走れメロス』など“陽”の作品は別として、『人間失格』などの“陰”の作品に対してこうしたマイナスイメージが付き物ですが、彼の描く、一見暗く湿度の高い人物たちの言葉や行動には、案外現代の私たちの心に響くものがたっぷりと含まれています。

 

14篇の短編からなる本作品。

自分や周囲に対して揺れ動く女学生の多感な心情を描いた表題作「女生徒」をはじめ、

他者からの評価と自己評価の狭間に苦しむ「千代女」、

名声を得た夫が変わりゆく様子を妻の視点から描いた「きりぎりす」

などなど。それぞれ様々な境遇の女性たちが登場します。

 

これらすべてが各主人公の女性の独白体で書かれており、すべてが彼女たちの主観のみで描かれています。誰に飾ることもなく、私たち読者に“告白”してくる彼女たち。つまり、とってもリアルです。

恋人や夫、家族、友人、手の届かない人との関係を通して、彼女たちがもつ哀しみや愛情、執念深さ、強かさが色濃く描かれています。めっちゃ(特に男性読者にとっては)恐そうですよね。

 

けれど、こうした描かれ方だからこそ、この少女・女性たちは、しっかりと現実感をもって(実際にこうした女性たちが(今も)いるのだという実感をもって)わたしたち読者の前に現れ、彼女たちの時に恐ろしくも、力強く真っ直ぐな言葉にはプスッと読み手の心に刺さるものがあるのです。

 

 

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。人々が、よいと思う娘になろうといつも思う。たくさんの人たちが集ったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持ちと全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。(「女生徒」P.32)

 

「女生徒」にて、主人公の少女が通学の電車の中で、ふと考える一コマ。 

もちろん現代はこの時代よりも男女ともにきっとかなり生きやすくなっているし、自分らしく素敵に生きている人もたくさんいます。けれど程度の差こそあれ、多くの人がなんとなく共感してしまうものが、この文章には大いにあるのではないでしょうか。そして共感してしまう人にとって、この文章はちょっぴり痛いのでは。(それこそ私の主観ですが。)

 

他にも彼女たちが吐露する言葉は様々です。怒りや悲しみや迷いに満ちたものがあれば、喜びや自信に満ちたものもあります。

 

 

昔には昔の、今には今の生活があり世間があります。

けれど、おそらくよっぽどの自信をもって生きていない限り、こうした言葉を通して見える彼女たちの姿には、時代を越えてどこか理解できるものがあるのでは、理解できずとも認めることのできるものがあるのではと思います。

(個人的には男性が読んでどう感じるのかちょっと興味があります)

 

 

「純文学」「太宰治」というだけで敬遠せず、ぜひ一度手に取って読んでみてください。そして手に取ってみたものの開いていなかった方もぜひ。ご一読を!

 

 

P.S.

近年は、各出版社で、「純文学を“若者受け(どちらかというと女子向け?)”させよう」という運動もあるのか、太宰治作品をはじめ、純文学の装丁がかなりお洒落でかわいくなっています。ファッション感覚で好きな表紙のものを買うのもアリかもしれません。

 

 

『鳥肌が』 穂村弘

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

最近寒いですね。大寒波が猛威をふるって・・・もう堪らないです。お風呂から上がる時なんかに鳥肌が立つこともしばしばですが、たまにはこんな本を読んで、クスッと笑いながらもちょっとした怖さに鳥肌を立ててみませんか。

 

f:id:aykaaam:20170116185416j:image 

『鳥肌が』 穂村弘

PHP研究所・定価1500円+税・ページ総数248頁)

 

歌人でありながら、エッセイや絵本など様々なジャンルを手掛ける穂村弘さんが2016年に出したエッセイ集。穂村さんが日常生活の中でふとした瞬間に感じる、恐怖や違和感を穂村さんらしい親しみやすく軽やかな文章で綴っています(穂村さんの書く文章は読みやすい!)。ホラーではないのでご安心を。

本書には、

ホームの一番前には絶対に並ばない。もし背後から不意に押されでもしたら・・・。という恐怖を語った「次の瞬間」、

自らの恐怖で他人と話すことへのハードルを上げてしまう「他人に声をかける」、

電車の中でふと“自分以外の人間はみんな他人の心が読めるんじゃないか”という考えがよぎってしまった恐怖を綴った「自分以外の全員が実は」

などなど44篇のエッセイたちが並んでいます。

 

一見、そんなことそうそう無いでしょ・・・ぷぷぷ。と思われるかもしれませんが、一つ一つの“鳥肌”エピソードは、「なるほど。そうかもしれない」「もしかするとそんなこともあるかも」「それってもしかして・・・!」と私たちを納得させる、時にはしっかりゾゾッとさせるものです。

それが、善意や励ましの気持ちからであっても、誰かの心に「言葉」を贈るのはこわいことだと改めて感じた。音楽や絵画と違って、「言葉」は意味から自由になることができない。それを見たり聞いたりした者の心には必ず「意味」の解釈が入り込む。そこに致命的な ズレが生じる可能性があるのだ。(P.188 「お見舞いの失敗」)

 

そして、そうしたエピソードの最後、「仔猫と自転車」と(わりとどの本でもお奨めはさせてもらっていますが、)作者によるあとがき。ぜひ注目して読んでいただきたいです。

クスリと笑いながら、フムフムと納得しながら、ヒェーと怖がりながら、面白く237ページまで読み終えた私たち読者へ用意された、ちょっと毛色の違うエッセイと、作者の想いが垣間見えるあとがき。「仔猫と自転車」はさらっと読めばたった5ページで終わってしまう短い文章です。あとがきも初めはただ単に飲み会が苦手な作者の話から始まります。

けれど、なんとなく自分に何か問われている気がするのはなぜでしょうか。ふと何かをそっと目の前に晒された気持ちになるのはなぜでしょうか。

 

もちろん読む方によってはそんなこと全く感じない!という方も(おそらく性格によるものだとと思いますので、)いらっしゃると思いますが、この本の愛すべき一つのポイントとしてこの最後の2つの話は挙げられるべきではないかと思います。

 

 

エッセイも小説とはまた違った面白さが詰まっています。普段あまり覗くことのできない作家さんの一面をエッセイから覗いてみるのもアリです。

ぜひご一読を!

 

 

P.S.

表紙には“鳥肌”があしらわれていたり、中の紙はツルツルとした抜群の手触りだったり、しおりの紐もなんか変わっていたり、となんとも素敵な本です。興味があれば本屋さんで触ってみてください。

『注文の多い注文書』 小川洋子、クラフト・エヴィング商會

 

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

2017年が始まりました。“2017年”と聞くとなんだかもう近未来のような響きがするねとこの前友人と話しておりました。年月はどんどん進んでいるわけですが、近い将来には(もしくはもう既に?)こんな“注文”を聞いてくれるお店が存在しているかも。新年一発目は、不思議な“注文”をめぐる、見た目も内容も贅沢なとっておきの一冊を紹介させていただきます。

 

f:id:aykaaam:20170108154316j:image

『注文の多い注文書』 小川洋子クラフト・エヴィング商會

(筑摩書房・定価1600円+税・ページ総数205頁)

 

博士の愛した数式』、『ミーナの行進』、『薬指の標本』など数々の著書で知られる小川洋子さんと、吉田浩美さん・吉田篤弘さん(以前『小さな男*静かな声』 吉田篤弘 - 本の棚でもご紹介)による制作ユニット“クラフト・エヴィング商會”の共作である本作品。

「ないもの、あります」というコンセプトを掲げたクラフト・エヴィング商會へ、小川さんによる魅力的かつ難題な「この世にないもの」の注文が入るという、全5幕の短編集です。注文の品はすべて実在する小説に登場するものたち。それを探し求め注文しにやって来る人やその品そのものにまつわる物語を、小川さんとクラフト・エヴィング商會がシナリオ無しで書き上げた逸品。

 

恋人に触れる度、触れた箇所が自分だけ見えなくなるという女性が注文する「人体欠視症治療薬」、

祖父の死をきっかけに出会った不思議な“叔母さん”を探す男性が注文する「貧乏な叔母さん」などなど。

もしかすると本に詳しい方は“注文”を見ただけで「あぁ、あの小説のあれか」とピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

本作品の魅力の一つとして、文章と写真を組み合わせた特徴的なデザインがあります。(これはクラフト・エヴィング商會が得意としている手法です)

まず目を惹くのが、思わず“ジャケ買い”したくなるような綺麗な装丁ですが、ページを開くとそこには文章と共に「この世にないもの」を映し出した、魅力溢れる写真が納められています。

この世に“ない”はずのものが現実的に“ある”ような、

現実世界とフィクションの世界の境界が曖昧になるような、

読者の心をがっつり惹きこむ、趣向を凝らした中身になっています。

 

 

また、もちろん写真だけではなくエピソードとその語り口も一つ一つ秀逸なところがこの本の贅沢なところです。

お客はなぜそれを注文するに、注文せざるを得ない状況に至ったのか。小川さんが描く人々は、時には来店し、時には手紙をしたためて、切実な願いと共にそれぞれの探し物をクラフト・エヴィング商會へ“注文”します。

 

 

予約もしないで来ちゃったんですけど、構いませんか?とにかくこういう場所は初めてなんで、要領がよく分からなくて・・・・・。ここを教えてくれたのは時々目医者さんで一緒になる、指圧師のおじいちゃんです。クラフト・エヴィングさんに頼めば大丈夫。どんなわがままな注文でも、嫌な顔一つせず、快く聞き入れてくれる。あそこには、ないものだってあるのだ。だから何の心配もいらない。そう言ってました。

私の注文は、人体欠視症の治療薬。分かります?変な病気でしょう。どうか、笑わないでね。

(「case 1 人体欠視症治療薬」P.20)

 

特殊な病の治療薬を求めてクラフト・エヴィング商會にやって来た女性が来店する最初の場面。

すべての注文はこんな風に彼ら彼女らが直接発する言葉で語られ、その想いを私たち読者の胸にも訴えかけてきます。

 

これらの注文品に関して、どのようにしてその品が発見されたのか、そしてそのこの世に“ない”はずの物はどんな姿かたちをして“ある”のか。すべてはクラフト・エヴィング商會による写真を織り交ぜた“納品書”で明らかにされ、「なるほど、こういう物(こと)だったのか」と私たち読者(と注文した人々)は目を見張るわけです。

 

そしてこの本の面白いところは、注文品を受け取った“受領書”として、小川さんによる、注文者たちの後日談が描かれていることです。「見つかりました、めでたしめでたし。」では終わらない。

注文品を手にした彼ら彼女らはその後どうなったのか。果たしてその品を手に入れて幸せになったのか。時に意外な結末を迎えるエピソードに再び読者は目を見張ります。

 

 

読んでいるうちに、不意に足をすくわれるような“仕掛け”がたっぷり盛り込まれた、美しいこちらの一冊。ぜひご一読ください。

 

 

P.S.

この本の最後には「本書の源泉となった五つの小説」と題して、実際に注文品が登場する実在の小説が小川洋子さんのコメント付きで紹介されています。こちらも読んでいただければ、次に読みたくなる本が見つかるかもしれません。

 

 

 

『とにかくうちに帰ります』 津村記久子

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

いよいよ2016年もあと1か月と少しになりました。

なんて言われると私なんかは何だか焦って一旦耳を塞ぎたくなります。

多くの方がじわじわ忙しくなってくるであろうこの時期ですが、そんな日々にちょっと余裕を持たせてくれるかもしれない、こんな一冊はいかがでしょうか。

(今回の本は友人に教えてもらいました。ありがとう!)

 

 

f:id:aykaaam:20161127143155j:image

『とにかくうちに帰ります』津村記久子

新潮文庫・定価460円+税・ページ総数207頁)

 

「職場」を中心に、様々な視点からあらゆるエピソードが綴られた、表題作を含む全六篇の短篇集。

実はちょっと大切にしていた文房具が、上司から返ってこないもどかしさを描いた『ブラックホール

応援している選手を、“厄”を呼び寄せる人の好い先輩社員から密かに守る『バリローチェのファン・カルロス・モリーナ』

豪雨の中家を目指す4人を描いた『とにかくうちに帰ります』

などなど。

 

書き出すと本当に些細な出来事ばかりですが、侮るなかれ。

これらの話に含まれる切なさと可笑しさと優しさが生み出す共感はとても心地の良いものです。

 

登場人物一人一人が、彼らの感情や行動の一つ一つが実に丁寧に描かれている本作品。「あぁ、こういう人いるよなぁ・・・」「うわ~こういうことあるよなぁ!」と苦笑しつつも、登場する人物は皆何だか愛おしく、彼らが取る言動は可笑しくも優しかったりする。

 

ちょっとむかつく後輩との帰り道。

 

「すみませんけど、ハラさんが買ったお茶とか、ちょっと分けてもらってもいいですか?お金は払いますんで」こいつ、あんなにポテトをもさもさ食っていたせいで喉が渇いたのか、とハラは呆れるが、ああ、お金はいいよ、などと気前よく言ってしまう。

「紅茶とお茶としょうが入りはちみつレモンがあるよ」

(中略)「じゃあ、しょうがはちみつレモンをください」

いちばん楽しみにしていた飲み物を指されて、ハラは微かに舌打ちをした。(p.159)

 

 

成り行きで一緒に帰った小学生との一コマ。

 

「寒いな、やばいよ。このまま家に帰っても体が大丈夫かどうか・・・・」

「弱気になるなよ、息子さんがあんたに会いたがってるよ」

胸を衝かれたような気がした。サカキはうつむいて、よしひろのことを思った。ミツグは、携帯電話の画面をしげしげと眺めながら、おお、この橋の果てはうずまきなんだな、とどこかうれしそうに呟いていた。(p.164)

 

 

 

また、作品以外でも注目していただきたいのが、西加奈子さんによる解説です。私としては読後の読者の気持ちを代弁してくれているかのように感じた、素敵な解説でした。

 

つまり津村さんは、「取るに足らないとされていること」や、「確実に起こっているけれど覚えておくまでもないとされていること」を積極的に書いてくれる。

重要なのは「とされていること」という点である。

この出来事は、この気持ちは、本当に取るに足らないことなのか?

覚えておくまでもないことなのか?

それが彼らの、私たちの日常にある限り、そしてそれがわずかでも心を動かしたのなら、それはとても切実な、大切な瞬間なのではないのか?(P.202)

 

 

 

劇的なドラマや展開があるわけではない。ものすごく良いことを言っているわけでも、何か特別に立派な行動をしているわけでもない。

ただ、「明日からちょっとだけ頑張れそう」と思わせてくれる力がこの本にはあります。

 

仕事終わりの帰り道、ちょっと疲れたり嫌なことがあったりした時、電車の中でこれを読めばふっと肩の力が抜けるかもしれません。そんな一冊です。

 

ぜひぜひご一読ください。

 

 

P.S.

作者の津村さんは他作品で数々の賞も受賞されているようです。気になった方はぜひ。私も西さんの解説も含めてこの作品を読み、津村さんの作品がもっと読みたくなりました。

 

そしてそして写真の表紙が汚くなってしまって、、お見苦しくて申し訳ありません。カバンで潰されてしまいまして、、大目に見てください(涙)

『東京百景』 又吉直樹

 

 

 初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

読書の秋に読んでほしいということで前回は異様さにどっぷり浸る小説をご紹介しましたが、みなさんにも馴染みのあるこの方の一冊で軽快に読書の秋に突入するのもいいかもしれません。

 

 f:id:aykaaam:20161023044405j:image

『東京百景』 又吉直樹

ヨシモトブックス・定価1300円+税・ページ総数276頁)

 

今や言わずと知れた人気お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんの自伝的エッセイ。元々「マンスリーよしもとPLUS」で連載されていた彼のコラムに加筆した作品を書籍化したものです。

(装丁がお洒落で、何よりハードカバーで型崩れしにくいのに軽いという持ち運びに最適な一冊!)

又吉さんが選ぶ東京の「百景」を舞台に、上京してきた頃から約10年間彼が送った日々。これらを綴った100編のエッセイを読むことができます。

 

このエッセイの魅力のひとつに、又吉直樹という人がもつ「恥」があります。

彼が過ごした日々の中で、喜びも悔しさも感動も悲しみも、一言では言い表せない感情も、そのほとんどが著者自身への「恥」をもって語られています。

自身の「恥」を自覚した上で語られる言葉の数々は、素直で、時に温かく、時に熱く、時に辛辣で、愛しいものです。

 

 

十代の頃、恥辱にまみれながら歌舞伎町から逃げ出した僕は独りぼっちだった。しかし、どうだ歌舞伎町?非常に危うい関係ではあるが、たまに背後から刀で斬りつけて来る事もあるが、それでも今の僕には仲間がいる。この街の風景は際限なく冷酷だが、時折とても温かい。

(p.126 「四十八・夜の歌舞伎町」)

 

何かの正義を強く主張して、ちょうど良い案配の潰せるくらいの小さな悪に対して厳しく向かっていく団体の臆病な英雄に気持ち悪さを感じて仕方がない。まるで俺みたいな奴だなと思う。都合の良い正義だなと思う。絶対に勝てない悪に真っ向から立ち向かって殺された人の話って聞いたことない。みんな、程好い感じでやってるなと思う。

(p.154 「五十七・下北沢CLUB Queの爆音と静寂」)

 

 

自分の「恥」を知って人や物事を見る彼の言葉は、愛しくあると同時に鋭く、強い。

 

また、さらさらと日記調に綴られる中で、ある一言、ある一文がいきなりキュッとこちらの心を掴んでくる“ニクい”文章も数多くあります。

 

寒い夜、キミの家に合鍵で入り、無防備に眠る頼りない表情のキミを無理やり起こし、「のど渇いてるやろ?水やで」と言って買って来たコーラを渡すと、キミは目を閉じたまま両手で抱え込むようにコーラを持って飲む。「ああっ」と小さく叫び、自分の喉を両手で掻きむしる。そして、二人で笑い続けた。あれが僕の東京のハイライト。

(p.220 「七十六・池尻大橋の小さな部屋」)

この数行、第七十六編の中で読むとかなりキュッときます。

 

 

又吉さんと言えば、第153回芥川賞を受賞した『火花』が話題となりましたが(こちらもかなり良いですが)、そちらを読まれた方、これから読む方、ぜひこの一冊もセットで読んでいただきたい。そして、芥川賞受賞作とか特に興味なし!の方も、ぜひこの一冊を読んで又吉直樹という人の文章に触れていただきたいと思います。

 

 

この本を出す機会に恵まれた事が本当に嬉しい。この先、仕事が無くなる事も、家が無くなる事もあるだろう。だが、ここに綴った風景達は、きっと僕を殺したりはしないだろう。(「はじめに」より)

 

 

私は熱烈なファンとかではないけれど、又吉直樹という人は大変興味深い方です。テレビで観る彼とは違う一面を本著で感じていただければと思います。ぜひ!

 

 

P.S.

又吉さんが芥川賞を受賞した際の、選考委員である山田詠美さんのインタビューが面白いのでお時間のある時にぜひ。↓

【芥川賞講評】「いやあ、又吉くんうらやましい、と」山田詠美選考委員(1/8ページ) - 産経ニュース

「1行1行にコストがかかっている」という、『火花』に対する山田さんの考えがとても素敵です。

 

 

『私の男』 桜庭一樹

 

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

だんだん朝晩が涼しくなってきました。

秋の気配ですね。月並みですが、“読書の秋”です。

本が読みやすい季節です。良い季節です。

そんな秋が近づいている今日この頃、

少し肌寒い日にじっくり読んでほしい、中毒性のあるこちらの一冊をご紹介。

 

 f:id:aykaaam:20160909014502j:image

『私の男』桜庭一樹

(文春文庫・定価670円+税・ページ総数451頁)

 

 

ご存知の方も多い作品ではないでしょうか。

第138回直木賞受賞作である本作品。浅野忠信さん、二階堂ふみさんにより実写化。2014年に公開され、そちらでも話題になりました。

この本を紹介しようという身でお恥ずかしい話ですが映画は観ておりません。

ので、そちらの感想は何とも言えませんが、こちらの本はいろんな意味で心に残らざるを得ない一冊になるかと思います。

 

 

結婚を目前に控えた腐野花(くさりのはな)と、その養父であり、異様な雰囲気をもつ淳悟。

物語は花婿の元へ向かう花へ淳悟が傘を差しだす場面から始まる。どこか奇妙で危うい二人の関係が見え隠れする中、時はどんどん二人の過去へと遡り――

極寒の北海道・紋別、日本海を背に、孤独な親子が成し得てしまった“家族”の形とは。彼らが求め続けた“愛情”の形とは。

 

お察しのとおり親子の禁忌が描かれていますが、「禁断の愛」なんていう陳腐な言葉ではなかなか片づけられない、かなり引力のある作品です。

常に嫌な感じが付き纏い、二人が抱えるもの、纏うものは、途中吐き気を覚えるほど濃厚になっていきます。それでも離れられず読み進めてしまう。

 

 

この本の大きな魅力のひとつは、人物描写にあります。

花と淳悟の描写は、時に読む者の心をすっと掴む。 

 私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。日暮れよりすこしはやく夜が降りてきた、午後六時過ぎの銀座、並木通り。彼のふるびた革靴が、アスファルトを輝かせる水たまりを踏み荒らし、ためらいなく濡れながら近づいてくる。店先のウィンドウにくっついて雨宿りしていたわたしに、ぬすんだ傘を差しだした。その流れるような動きは、傘盗人なのに、落ちぶれた貴族のようにどこか優雅だった。これは、いっそうつくしい、と言い切ってもよい姿のようにわたしは思った。(p.8) 

物語の冒頭。淳悟の登場シーンは、かなり印象的なものです。

 

 

わたしは手袋をしたまま、三つ編みに結んだほそい白いリボンをほどいた。胸の辺りまでのばした黒い髪を、きつく編んでいたので指でほぐして、首を左右に振った。かじかんだ手から、リボンが風にさらわれて、飛んだ。見上げると、湿った冬の風にあおられた黒髪がぶわあっ・・・・・・・と勝手に意思を持ったようにうごめいて、舞いあがり、わたしの顔を隠してしまった。(p.201)

 

花と淳悟を脅かす人物との対面直前。まだいくぶん幼い花の描写。

 

他人に否が応でも嫌悪感や気持ちの悪さを抱かせる関係にありながら、二人の姿は他人の目を奪う。それは読者に対しても例外ではありません。

 

 

 

また、この本の特徴のひとつは過去に遡る時系列になっていること。

私たち読者は、まず最初に彼らが最後にどうなるか知ってしまっているわけです。

その上でもう戻れない二人の過去へと歩みを進めなければならない。

 

過去に遡ることで謎が紐解かれる面白みもありますが、

時を遡れば遡るほど、花と淳悟を知れば知るほど、膨れ上がる切なさがあります。

全てを知ったあなたが最後の一文を読むとき、何を思うか。

 

 

 

線を引くことは、わたしたち人間には、むずかしい。

なんだって、そうだ。(p.255) 

 

 冬の紋別。真っ白な銀世界の中で、凄まじい程強い気持ちと、相反する無力さを兼ね備えた二人の親子の姿は、一読の価値大いにありです。

是非に。

 

 

P.S.

桜庭さんの描く「少女」はかなり魅力的なので、もしこの作品を読んで気になった方はぜひ他の作品も読んでみてください。

ちなみに桜庭一樹さんは女性で、そして美人です。