本の棚

れっつ 読書/Instagram@honnotana

『百人一首という感情』(最果タヒ)

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

前の更新から1年経ってしまいました。

1年の間に世の中は大変なことになっていますね。いろんなことが起こって、いろんなことが制限されて、うう…っと、気持ちが疲弊してしまいますが、本の中は自由ですからね。どこへだって行けます。時代を超えて、千年以上前の世界にだってこんな形で触れることができる。

今回紹介するのはこちらの一冊。

 

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百人一首という感情』最果タヒ

リトルモア・定価1,500円+税・ページ総数299頁)

 

※持ち歩きすぎてボロボロですが、大目に見てください。

兵庫県神戸市生まれの現代詩人、最果タヒさん。

『死んでしまう系のぼくらに』、『十代に共感する奴はみんな嘘つき』、実写映画化された『夜空はいつでも最高密度の青色だ』など、ポップで切ない世界観で数々の詩集を出され、その他、エッセイや作詞など様々な作品を手がけています。

(詩にあまり触れてこなかった私ですが、最果タヒさんの詩集は装丁が良くてですね、思わず手に取ってレジに行き、気づいたら本棚に数々の詩集が並ぶようになりました。詩もいいんですが、あとがきが!これがまた良くてですね・・・!!ぜひ詩集も読んでいただきたい。)

 

ただ、今回紹介するのは、詩集ではなく、一風変わったエッセイです。

『千年後の百人一首』で百人一首の現代語訳を手がけた著者が、今度は百人一首を案内していくのが本作。

重要なのが、決して「解説」ではなく「案内」であるということ。

 

皆さんは「百人一首」と聞いて、どんなイメージをもちますか。

私なんかはすぐに、学校の教室で黒板の前に立つ先生の話を、あくびをかみ殺しながら聞いていた思い出がよみがえります。一句一句を分解して現代語訳をして、技法を覚えて、テストを受けて正解を求めていく・・・

多くの人が義務教育の中で触れてきたであろう「百人一首」そのものは、多くの人にとって、私と同じ「勉強」という形でのみ身近にあったのではないでしょうか。

 

しかし、この本を読んだときに目の前に現れるのは、その奥にいる読み手である「人」の感情や感覚、その確かな体温です。

ドラマや映画の主人公、小説やマンガの登場人物、イヤホンから流れるロックを歌う歌手、そういった、私たちが日々の暮らしの中で「そこにいる」と感じ、少なからず感情移入する人々。

それと同じように、和歌には必ず読み手がいて、その読み手がその歌を詠むに至った感情の動きや出来事の経緯がある。しかもその読み手は、フィクションじゃなく、実際千年前にここ日本に実在していて、そこには解説も、正解を求めることも不可能な「人」そのものがいるという感覚。そしてそこで描かれる感情や感覚はやはり自分と同じ「人」であるということ。考えればすごく当たり前のことですよね。でも、なかなか実感はしにくい。

その感覚が百人一首句一句に最果タヒさんならではの文章とともに寄り添う中で、自身の中に広がっていく面白さ。ぜひ体感していただきたいです。

 

この本では、千年の向こうがわで生きていた彼らの感情に触れていくことで、見えたもの、思ってしまったことをエッセイとして綴っています。記録でもなく、伝説でもない。歌だからこそ残っていた、白黒つけられない人々の感情。それを前にして、私から溢れていく言葉。よかったら一緒に、彼らに会いにいきましょう。(P.3 まえがき)

 

またこの本が良いのが、先ほどちらっと書いた最果タヒさんならではの文章でして。

まず、心地よい。やはり詩を書く方だからなのか、エッセイでありますが、その句点読点の打ち方・リズムがとても心地良いです。

そして、その言葉の選び方や運び方の随所から(他の作品でもそうなんですが)言葉を本当に大切にしていらっしゃる方なんだなぁと感じられるところ。歌に込められた読み手の感情然り、その受け手である著者が抱く想い然り、すべてがはっきり言葉にできるものではないと著者自身で断言した上で、その絶妙なニュアンスや空気感を、何もごまかさず、言葉を尽くしてきちんと私たち読者に伝える巧さ。

ぜひ実際に本を開いて、味わっていただけたら。

 

 

千年の時の隔たりはどうしようもなく変わらずそこにありますが、読み終わった後、どこか敬遠しがちだった百人一首は、私たち読者の前に、今までになく血の通った姿を見せてくれるのではないかと思います。そしてこの読後感は、他の解説本を読んでも得がたい体験かと。

 

 ・・・私がまったく知らない人、それも千年も前の人たちに、共感するということがどうしてこんなにも心地よいのか。それは、私たちもまた、いつか千年前の人になるからかもしれない。時代が変われば、世界が変われば、時が流れていけば、毎日を覆うようにやってきたさみしさも喜びも、とても小さく見えるだろう、歴史として記録されていくうちに、あってもなくてもいいものとして、切り捨てられていくのだろう。政治の決定だけが、時代を牛耳ったものだけが、歴史として残っていく。私たちのほとんどは、きっと、そんなところに入り込むこともなく、消え失せていくのでしょうね。

 忘れ去られたものがいくつもある。この千年の間に。(中略)それでも、歌は残っていた。歌を通じて、その瞬間を、何度も、何度も、平安の人々は感じていた。記憶が歴史に変わっていく中で消されてしまった「感性のまたたき」。けれど、歌は。たった五百年じゃないか。たった千年じゃないか。小さな悲しみも怒りも、個人的な恋愛模様にも、歌は、そう告げてくれる。(P.293)

 

どこか重苦しくピリピリしている今の世の中で、千年前の人たちの想いから、わたしたちが何かを取り戻せるかもしれません。

 

お時間あるときにぜひ。

 

P.S.

この本、表紙といい、中の紙といい、手触りがとてつもなく良いです。

素敵装丁なので、ぜひ書店などで実際に手に取ってみてください。

『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』 くどうれいん

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

久しぶりに書きます。書きたいと思っている本はたくさんあるんですが、相変わらず追われる毎日なので、今回はその中でも私の気持ちをぴゅんっと跳ね上げさせてくれたこの一冊をご紹介。もうすぐ春だし、フレッシュに。目まぐるしく変わっていく3月の日々の中で、なにかを見つめ直すきっかけに。

 

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『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』くどうれいん

(BOOKNERD・定価 税込1000円・ページ総数77頁)

 

挑戦的な題名と、緻密な挿絵のついた表紙に目が行くこちらの一冊。

歌人であり食を愛する作者が、食とともに綴る日々の記録。ジャンルで分ければ「食のエッセイ」となるんでしょうか。

綴られているのは、作者が大学生である2016年6月と社会人になった2017年6月の2か月に、彼女が考えたことや経験したことと、その日々でいつもそばにある「食」というもの。

 

わたしがこの本を読んで、最初に抱いた感情は、率直に「うらやましい」という気持ちです。

 

描かれる題材はなんてことのない日常。1人の女子大生が、1人の新社会人が、平凡に暮らす中で経験する日常。別に何か特別きらびやかな日常を送っているわけでも、私が望んでも手にいられないような生活を送っているわけでもありません。なんなら中にはわたしも同じ体験をしたものだってあります。作者と同じように悩んだり怒ったり喜んだり笑ったりしたことがあります。

仲のいい後輩との一幕

コロッケ屋さんでアルバイトをしていた時の話

深夜のコンビニで買うスイーツの尊さについて

などなど。よくある、当たり前の生活。

 

そうした日々に、ふと心に浮かぶ何気ない感情。わざわざ言葉にもしない、うっかりすると刹那に消えてしまう、でもそこに確かにあった感情。たぶん、実は、けっこう大事だったりする感情。それを作者は、実に鮮やかに軽やかに表現してみせる。

うーん、うらやましい。わたしも、こんな風に自分の感情を記録できたら・・・なんて考えてしまいます。

 

 

眠る前、わたしは彼女と手をつないだ。彼女と行ったいくつかの素晴らしい喫茶店のこと、野球観戦をしながら大きなコーラを飲んだこと、シャガールの絵を見てくふくふ笑ったこと、水鉄砲を買って川遊びをしたこと、フルーツポンチをこしらえて夏の芝生に寝そべったこと、これ家出ですと言い張って彼女が泣きそうな顔でわたしの家に泊まりに来たこと、ゆっくり思い出しているうちに寝てしまった。ずっと高校生だと思っていたわたしたちはもう大学生で、たぶん、こんな感じで、あれ、と気づいた時には大人になっているのだろう。不思議な気持ちだった。別れ際に彼女は泣いたけれど、わたしは泣かなかった。

(P.14 年下の水鉄砲に撃たれてやる)

 

 

 

わたしには泣いている人の慰め方がわからないし新宿の雨のにおいもわからない。けれど、こうして電話が来ることはうれしい。どうか、おいしいものを食べて元気を出してね。雨なのか泣いているのかわからない音を聞きながら、わたしはからっぽの宇宙船で静かに角煮弁当を完食した。

(P.31 夕立が聞こえてくるだけの電話)

 

 

 

ここに描かれているのは「生活」というよりは「生きること」と表現する方が正しいような気もします。

そして作者が生きる中で必要とするのが食。2016年6月に作者の1人暮らしを楽しませ(時に困らせた)のも食、2017年6月、日々に追われ食欲不振にもなった作者を立ち直らせたのも食。

 

読んでいて思うのは、わたしたちは食がなければ生きられないよなぁという当たり前のこと。

それは単に栄養摂取という意味ではなくて、食べる時間に何かを考えたり何かを忘れられたり、誰かと食べることで、誰かとつながることができたり。そうやって、生活に当たり前にある"食べること"から、わたしたちは何かを得て、また生きていくことができる。

  

どれだけつらくても、おいしいお寿司はおいしい。なんだか滑稽だった。わたしはいままで何に悩んでいたのだろうか、とすら思えてくる。舌がしあわせになると、脳みそは勝てない。おいしい日本酒とともに、かなしみの輪郭が鈍くぼやけた。

「君には少しくらい、苦労が必要だったのかもしれないね」帰り際、詩人は意地悪に笑った。「でも、気にしなくていい。君が味方につけるべき人間は、もう君の味方だから」

そっか~、と笑う。そっか~って思うからまた傷ついちゃったりするんだろうか。0番線で終電を待ちながら、羽もないのに肩甲骨をずっと触っていた。

(P.58 星涼し地球の石を蹴って帰る)

 

 

生きていく中に必然のものとして、「食」があるという当たり前を思い出し、実はそれが当たり前でありながらかなり貴重であったかいものなんだぞ、と気づかされる一冊です。

 

ちなみに。

装丁もとても良いです。表紙の手触りも良いし、この本の世界にぴったりな絶妙な分厚さと色合いの紙、読みやすいフォントや行間。こだわり抜かれた装丁なんだろうなと、私なんかはにやけてしまう装丁。

あと、挿絵が超すてき。

 

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(P.23 六月のミラーボールに暴かれて より)

 

ぜひご一読くださいませ。

 

 

P.S.

作者と縁ある人物の対談が末尾に載っておりますが、作者の人柄が見えて面白いです。もし彼女が傍にいたらお友達になってみたい。実は年も近いし。と勝手に思っています。

 

 

 

『モダン』 原田マハ

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

台風に襲われ続ける日本列島。わたしが住む関西にもまさに今接近中です。皆さん安全第一で気をつけましょうね。

天災続きだし仕事は山積み、休日だってなかなか外出もできず予定も狂ってばかり!と何ともどんよりな今日この頃、バタバタしているうちに季節は一気に秋へと色を変えていきますね。読書の秋、芸術の秋と言われるこの季節にピッタリのこの一冊をお供に、暗い気分を少し軽くして秋を楽しんでもらえたらと思います。

 

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『モダン』原田マハ

 

(文春文庫・ページ総数183頁・定価560円+税)

 

MoMAのニックネームである「Tne Modern(モダン)」と銘打たれた一冊。題名の通りこの本の軸となるのは、ニューヨーク近代美術館「MoMA(モマ)」(日本でも各地のLoftを中心にMoMAのショップが人気を博していますよね。)

このアメリカを代表する美術館に関わる人々が、それぞれに喜びややりきれない想いをもちながら生きる様を、数々のアート作品と、日本の3.11、アメリカの9.11の悲劇を織り交ぜながら描いた短編集です。

 

学芸員を目指しながらMoMAで働く日本人女性が、2011.3.11を機に突き付けられた現実を描いた『中断された展覧会の記憶』

●アートがよくわからないMoMAの警備員が展示室で遭遇した不思議な人物とは・・・アートの見方が変わる(かもしれない)『ロックフェラー・ギャラリーの幽霊』

●とある工業デザイナーが夢を目指すきっかけになったMoMAに関わるある人物のある言葉への回想と今『私の好きなマシン』

●MoMAでの大切な同僚を9.11で亡くした女性が、とある展覧会を前に決断したこととは・・・『新しい出口』

●憧れのMoMAに日本から派遣され夢と希望に溢れた女性。“いろんな意味でスーパー”な教育担当から彼女は何を学んだのか。『あえてよかった』

 

全5編。

 

まずお話したいのは、“アートってすごい。MoMAってすごい。”と、アートど素人に自然と感じさせてしまう描き方。

 

アート小説の秀逸さでも有名な原田マハさん。アートやデザインには疎い私ですが、なんとまぁ、アート知識がするすると頭に入ってくること!

数々の美術館の中でも多くの“先駆け”を創り出してきた「MoMA」の歴史、その裏側でどれだけの人がどんな想いでどのように動いたのか。アートが人に、世の中に、どんな具体的な影響を与えているのか。その一つ一つが各物語の中にさりげなく、でも事細かに散りばめられています。

鑑賞するだけの“物体”ではない、人間を通した“血の通った”ものとしてのアートを学べる素敵な教科書です。

 

 そして何より素晴らしいのは、随所に描かれる、登場人物たちがもつアートに対する熱量。

時代も人種も年齢も境遇もまるで異なる5人それぞれの目線で見た、MoMAを巡る世の中。一つとして同じものはなくとも、静謐な美術館を中心に置きながら、その周辺にいるアートを愛する人々の熱量は同様に激しく、高く、そしてそれに突き動かされる人間の様は少なからず胸にきます。

 

ピカソの凄さが理解できなかった展示室警備員のスコットがある出来事が転機となったのち、ピカソの『アビニョンの娘たち』を前に、放った想い。

そうだとも。目も、毛穴も、心の闇も、全部開いて、見るがいい。

あなたこそが「目撃者」。新しい時代の、美の目撃者なのだから。

この絵が醜いって?ああ、確かに。この女たちは、人間のかたちをかろうじてしているけれど、人間じゃない。

彼女たちが体現しているのは、人間の心の奥深くに潜む闇だ。真実だ。

ピカソ以前の芸術家たちが、決して目を向けようとはしなかった、人間の本質だ。

人間はずるい。醜い。だからこそ「美」を求める。

醜さを超えたところにあるほんものの「美」を求めて、アーティストはのたうち回って苦しんでいるんだ。

心地よい風景、光、風、花々、まばゆいほどに美しい女たち。けれど、美しいものを美しく描いて、だからなんだっていうんだ?

アーティストは、美しいものを美しくカンヴァスの上に再現するために存在しているのか?(p.86)

 

(彼がここまでの想いを放つようになったきっかけについてはぜひ本編で。)

おそらくアートというものは感じ方も考え方も人それぞれですし、もしかしたらもともとアートに造詣の深い人などの中には、このスコットの言葉に異論を唱える方もいるのかもしれません。

しかし、少なくともピカソの作品を目の前にしその魅力を伝えずにはいられない、彼の熱量は、読んでいる者にビシビシと伝わってくるわけです。

 

熱に突き動かされた彼らが、時に眩しい強さを、時に共感する弱さを、時に胸が熱くなる喜びを、時に胸が詰まる悲しみを、魅せてくれる度に、「アートっていいものだな」と呟く自分がいます。

 

「アート」と言われると、嫌悪感を抱く人は少ないかもしれませんが、「よくわからない」と戸惑う人は多いでしょう。私もアートに興味はありますが、そんな節が少しあります。

ただ、そんな人こそ、この本を読めば、“なんとなく避けちゃってた、どことなく距離があった”「アート」という分野が、実は“人間味があって面白い”ということを新たに知る良いきっかけになるかもしれません。

もちろんアート好きな人たちも楽しめるはず。

 

今年の「芸術・読書の秋」のお供にぜひ一冊お手にとってみてください!

 

 

P.S.

読んだ後、めちゃめちゃMoMAに行きたくなるのでお金(渡航費)貯めましょう。

 

 

 

 

 

 

 

『家守綺譚』 梨木香歩

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

容赦なく暑い日が続いていますね。時間も容赦なく過ぎて、書くのも久しぶりになってしまいました。うっかりするとすぐに忙しない日々に流されてしまい、はっと気づけばあっという間に季節が変わっています。そんな私がこういう時に開くのが本書。同じく忙しい皆さんに、暑い日々に顔をしかめている皆さんに、心に少し余裕が出るように、季節を感じるゆるりと不思議なこの一冊をご紹介。

 

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『家守綺譚』梨木香歩

新潮文庫・定価400円+税・ページ総数205頁)

 

映画化された『西の魔女が死んだ』でも有名な著者が手掛ける本作。

舞台はおよそ百年前、文明の進歩が少しずつ世を変えている日本、主人公は、駆け出しの物書きである綿貫(わたぬき)征四郎。彼が、学生時代にボートの事故で行方不明のままとなった親友・高堂(こうどう)の家に、縁あって家の守をする「家守」として住むことから物語は始まります。

ある日、家の掛け軸から不意にボートで現れた高堂と不思議な再会を果たし、その家の庭や周囲の自然に生きる四季折々の植物、時たま出会う物の怪たちと、これまた不思議な交流していく征四郎。

 

繰り返される現実離れした不思議な現象、「百年前」のお話という設定でありながら、この本で悠然と静かに語られる物語は、今の私たちにもどこか近く親しみを感じさせます。この梨木さんの文章が醸し出す空気感、ぜひ味わってほしい!

 

 

そんな物語の中で特に丁寧に描かれるのが、季節の移ろい。

 

本書の目次には「サルスベリ」「都わすれ」「ヒツジグサ」「ダァリヤ」「ドクダミ」・・・というように、春から始まり、四季折々の植物の名が。

一つ一つの話ではそれらの植物がほんのり花を添え、それに合わせた季節の描写がたっぷりと描かれています。私たちがつい見落としがちな小さな変化を、この本が気づかせてくれるやも。

 

外の明るさに和紙を濾過したような清澄さが感じられる。いいか、この明るさを、秋というのだ、と共に散歩をしながらゴローに教える。(P.99)

 

 

 

また、時に描かれる、大切な人を失うという移ろい。その切なさの描き方もまた魅力の一つです。

 

 

――隣の家の幼友達なんです。ええ。急なことだったので、花が間に合わなくて。この辺り一帯の、早咲きのサザンカをみんな集めてきたんです。

私は黙ってうなずいた。

――かわいそうだと思わないでください。佐保ちゃんは、春の女神になって還ってくるのだから。

ダァリヤの君の声は高揚していた。私は黙ってうなずいた。それ以外に何が出来ただろう。

角の所まで送っていった。別れ際、

――僕の友だちも湖で行方不明になりましたが、気の向いたときに還ってくる。

と云った。ダァリヤはちょっと、泣きそうな風に顔をしかめたが、

――ええ、そう、そういう土地柄なのですね。

と呟き、明々と提燈の燈る通夜の席に戻っていった。(P.126)

 

 

 

 

そして、終盤明らかになる、征四郎が気づいた高堂が消えてしまった理由。

この前後の場面で描かれる、征四郎のものの見方はぜひ読んでほしいと思います。この物語にあるべき、とても素敵な最後になっているかと。

 

 

「奇譚」ではなく、あえて「綺譚」というだけある、美しい一冊。

ぜひ味わっていただければ嬉しいです。

 

 

P.S

実は私はこの本を友人から勧められた口で、正直、自分で本のあらすじだけ読んでいたら、こんな素敵な本とはわからず読まずじまいだったかも(Dさんありがとう)。改めて私も実感しましたが、やっぱり読んでみなきゃ本の魅力なんてわからないですね。

 

『美術手帖 2018年2月号 特集 テレビドラマをつくる』 美術手帖編集部(編)

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

すっかり春めいてきました。寒さが遠のき、なんとなくウキウキするような良い季節ですね。春は出会いと別れの季節ともよくいいますが、3月は「毎週観ていたアレが終わるなんて!」「4月クールのアレが待ち遠しい!」なんて会話も耳にします。ということで、今回は出会いと別れを繰り返すアレを特集したこちらの一冊をご紹介。

 

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美術手帖 2018年2月号』 美術手帖編集部(編)

(美術出版社・定価1,600円+税・ページ総数192頁)

 

美術出版社より毎月発行されている『美術手帖』では毎回様々なテーマでの特集が組まれていますが、本号の特集は「テレビドラマをつくる 物語の生まれる場所

実を言うと、私は『美術手帖』を毎月読んでいるわけではない(というかすみません、ほとんど読めていない)ですが、『美術手帖』はやはりアート関連の特集が多いイメージ。本誌の中でも、特集監修者である岡室美奈子さん曰く、 

美術手帖』がテレビドラマを特集する。画期的である。(P.98)

とのこと。いやぁ、この特集がまぁ!なんとまぁ!なんと面白いんでしょう!というお話です。

 

 

本特集「テレビドラマをつくる」は脚本家やつくり手がいま何を考え、どのような物語をつくろうとしているかを、大きなテーマにしている。(P.98) 

たなかみさきさんによる表紙のイラストも素敵ですが、中には様々な“視点”から語られる「テレビドラマ」がそれはもうたっぷりと詰まっています。

各ドラマの脚本家が語る自らの脚本への想い。

ディレクターによる演出の工作。

研究者から見たドラマ主題歌の威力。

有名ブロガーが語るドラマに登場する台詞の巧妙さ。

などなど、「テレビドラマ」を語るここに書ききれないほどの“視点”の数々。

 

これらはすべて、別に重苦しい論文とかではありません。軽い記事や雑誌の対談、インタビューのようなものがほとんどで、読みやすいものです。(ボリュームはたっぷりですけど)

 

そんな中で明確化される、わたしたちにとってかなり身近な「テレビドラマ」という物語の巧妙につくり上げられた底知れぬ魅力。そして提示される、様々なメディアが普及する中での「テレビドラマ」のこれから。

内容としては、かなり、超絶、贅沢だと思います。

 

ちなみに論じられている作品は、『逃げるは恥だが役に立つ』『カルテット』『HIGH&LOW』『リーガルハイ』『コウノドリ』『アンナチュラル』『監獄のお姫さま』『架空OL日記』などなど・・・これまたそうそうたるメンツです。(中には歴代ドラマを新旧問わず紹介してくれるありがたいコーナーも。)

 

そして、ぜひこれも注目していただきたいのが、冒頭でも少し紹介した、本特集監修者である岡室美奈子さんの「総論」。

 

テレビはつねにそれを取り巻く現実と地続きであり、放送途中にCMで分断されるばかりか、(中略)視聴者は前後に同じ画面で放送されるニュースやワイドショー、バラエティの影響を受けながらドラマを見る。連続ドラマなら、主人公にいかに感情移入しようとも、時間がくれば「続く」となっていや応なく日常に引き戻される。だから「ながら見」だってオッケーだし、テレビドラマは取るに足らぬ消費の対象であるという思い込みも発生しやすい。けれども多くのドラマが私たちに深い感動を与え、何気ない日常を見直す契機を与えてくれたことは確かだし、視聴者の日常に直結しているがゆえに、ドラマはいまなお私たちに多大な影響を与えうる。そして優れたつくり手たちは、誠実に現実に向き合い、ドラマというフィクションだからこそ伝えられる何かを伝え続けているのだと思う。(P.99) 

 

テレビドラマって、とても大衆的な娯楽ですよね。多くの人が観るもので、多くの人に受け入れられる魅力をもっている。

上記でも岡室さんが「テレビドラマは取るに足らぬ消費の対象であるという思い込みも発生しやすい。」と語っていますが、個人的にも、映画や本、舞台などよりも大衆的という度合いが強い分、テレビドラマはそれらより軽くみられることが多いと思います。

 

そんなのも手伝ってなのか何なのか、ドラマについて語るとは言っても、普段のわたしたちは俳優さんや監督の方がテレビや雑誌のインタビューに応えるのを目にする程度で、これほど深く真剣に語られる「テレビドラマ」の“内部”を見聞きする機会もそれほど多くないかもしれません。

 

そんな中で『美術手帖』が組んでくれた贅沢なこの特集。

なんなら好きなドラマの特集部分だけでもいいと思います。

(観ていたドラマの分析なんかは私のように首が取れるのではというほど頷けるかも)

ぜひご一読を。 

そして読んだあとはぜひそのまま、ツ〇ヤさんにでも駆け込んでください。

本誌で注目作品とされていた『アンナチュラル』も最終回を迎えてしまいましたが、読んだ後にDVDで一気見できるという幸せなタイミングでもあります。

 

P.S.

特集の話ばかりをしましたが、本誌にはもちろんアートの話題もたくさん掲載されています。中でも「Artist Interview」で特集されているジャネット・カーディフジョージ・ビュレス・ミラーの作品群やインタビューは、カラーの写真たっぷりでとても見応えあるものです。ぜひ!

 

『スノードーム』 アレックス・シアラー(石田文子 訳)

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

平昌五輪のフィギュア男子シングルFPが終わったばかりで興奮冷めやらぬまま書いております。とっても感動しましたね。羽生選手、宇野選手おめでとうございます!今冬は本当に寒い。平昌もかなり寒いそうですし、日本でも各地で豪雪が猛威をふるっている。そんな寒い日が続く中、温かいものでも飲みながら読むのにぴったりのこの一冊をご紹介。

 

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『スノードーム』(原題=The Speed of the Dark)アレックス・シアラー(石田文子 訳)

求龍堂・定価1200円+税・ページ総数423頁)

 

チョコレート・アンダーグラウンド』『青空の向こう』など数々の著作で日本でも100万部以上の大ヒットを記録したアレックス・シアラーの作品。どちらかというと“中高生向け”と思われがちな本ですが、“大人”が読むべき一冊でもありますのでオトナの皆さんも侮るなかれ。

 

物語は、ある1人の科学者クリストファーが不可解な失踪を遂げたことから始まる。「光の減速器」なるものを開発するため不思議な研究に明け暮れていたクリストファー。周囲に「無意味だ」と揶揄されながらも研究に没頭する彼のそばにはいつも謎のドームがあった。

失踪後、彼の同僚であったチャーリーは彼が異常なまでに執着していたそのドームとともにある手記を見つける。その手記には、彼の遺言でもあり回想録でもあるようなある物語が描かれていて・・・

彼はなぜあれほどまでに研究に必死だったのか?

彼はどこに行ってしまったのか?

 

 ぜひとも読んでください、とはいわない。しかし、もしクリスの物語に興味があるなら、彼自身の言葉で彼が書いたとおりのものがここにある。

 ただページをめくるだけで、それが読めるのだ。 (P.35)

 

こうして始まるクリストファーの書いた物語、つまり本作品は、前述のような冒頭からはまったく予想できないものです。読んでから楽しんでほしいのであらすじなどもここではあまり書きませんが、ぜひページをめくってほしいと思います。

 

一言で言うのであれば、この物語は、芸術と科学を用いた“愛”の話。

愛の話なんて言われたら、薄っぺらい!うさんくさい!鳥肌立つわ!ゲロゲロ!ってなるかもしれませんが、それでも紛れもなく愛の話です。そして決して薄くもうさんくさくもない、とてもリアルで人間味のある愛の話です。

 

自己愛、守りたいものへの愛、そして自分が決して手に入れられないものへの愛。

それらを抱え、孤独に生きているのがエルンスト・エックマン。醜く、哀れで、素晴らしき美を創りだす才能をもった芸術家。クリストファーの物語の主軸として出てくる人物です。この人物が、かなり曲者で、切なく、魅力的。

 

エックマンはふたりに背を向け、みじめな我が身をなげきながら、こう思った。

わたしが世の中に背を向けたんじゃない。

世の中のほうが、何度も わたしに背を向けたのだ。 (P.82)

 

彼がもつ想いは、時に愛情深く、時に痛々しい。途中、本当にこれ中高生にうけるのか?というほど生々しい感情も出てきます。

そしてそんな彼が創り上げた芸術、そこから迎える結末には、言葉が詰まる。

 

彼とクリストファーはどのような関係なのか、というところも含め、彼らにどんな物語があったのか? ぜひ見届けてほしいと思います。

 

ファンタジーのような出来事の中に、色濃く描かれた人間の生々しさが対照的な本作品。大人が読むべき一冊です。ぜひに!

 

P.S.

求龍堂さんから出ているアレックス・シアラーの作品はどれもこれも装丁がとても素敵ですので、ぜひ書店で見かけた際は手に取って眺めてみてくださいね。

『間取りと妄想』 大竹昭子

初めましての方は「とりあえずご挨拶 - 本の棚」をご一読くださると幸いです。

 

ご無沙汰しております。

忙しさにかまけて自分で自分の時間をつくれないというのは、どうにもよろしくないですね。ゆっくり続けていきますので、ちょっと暇な時があれば覗いてもらえると泣いて喜びます。新しい本と出会うきっかけになれればと、勝手ながら祈っています。

 

突然ですが、最近わたしの周りでは、密かな引っ越しブームがきています。この家に住んだら・・・とその家での新たな生活を妄想しては、友人たちは少なからずワクワクしているようです。彼ら彼女らの話を聞いて何だかうらやましいなと思っていたら、頭に浮かんだ一冊。「家」について秀逸な“妄想”を繰り広げるこちらの本をご紹介。

 

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『間取りと妄想』 大竹昭子

亜紀書房・定価1,400円+税・ページ総数203頁)

 

亜紀書房ウェブマガジン『あき地』にて連載されていたものが改稿され、さらに書き下ろしの一編を加えて短編集として出版されたのがこの一冊。けっこういろんな媒体で紹介されているので、ご存知の方も多いかもしれません。

ソフトカバーで紙も軽く、持ち運びやすいという個人的に大好物な単行本です。

 

13の間取りと、そこで暮らす・そこに訪れる人々の13のエピソードが詰まった本作品。各章の冒頭には題名のあとに間取りが描かれており、わたしたち読者はそれを見ながら、彼ら彼女らの生活に足を踏み入れる仕組みになっています。

謎の隣人の家に足を踏み入れたカップルがあることに気づく「隣人」

失恋によるショックで自室のロフトに閉じこもる学生の感情の動きを描いた「巻貝」

一見地味で真面目な彼女が家のとある場所で密かに行うある行為を描いた「仕込み部屋」

などなど、“一軒一軒”バラバラなエピソードが詰まっています。

 

間取りとは、ご存知のとおり線だけで“平面的”に描かれた図面であり、とてもシンプルなもの。伝わってくる情報はあくまで図面としての情報のみで、とても簡素なものです。

そんなわたしたちにも馴染みのある「間取り」が、大竹さんの手によって一気に色彩を帯びた「家」としてわたしたち読者の前に“立体的”に姿を現し、そこに生きる人間の様子や複雑な感情が、濃く描き出されていく。

 

 “間取りの中に確かに人が生きている”というリアルな実感。

あらゆる間取りのあらゆるエピソードを読む中で味わえるこの実感は、かなり魅力的で面白いです。

この間取りは実際にはどんな家で、今この主人公はこの間取りのどこを歩き、どこを見ているのか。そしてそこで何をして何を考えているのか。

登場する彼ら彼女らは喜びもすれば悲しみもするし、時には他人に見せられない姿をひっそりと露呈させることもあります。それらをぜひ、“間取り”から始まる異色なこの一冊で味わっていただきたい!

 

 

間取りの様々な部分を切り取って、巧みに物語を描く大竹さん。

 

例えば、この間取りを見て、皆さんならどこの部分でどんな人がどのようなことをしていると想像しますか?どんな物語が始まると想像しますか?

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きっと色んなことが想像できると思います。もしくは想像もつかないかもしれません。本の中では、時には「そこ(を切り取るの)か・・・!」とこちらの予想が気持ちよく裏切られることや、物語が予想もつかない展開を迎えることも。

※ちなみに、この間取り、実はおかしなところが1点あります。なぜここにこれがあるのか?物語のキーになっているので、正解は読んでからのお楽しみです。

 

 

 

また、間取りの中に自分が実際入っていくような描写も本作品の魅力のひとつです。

例えば、この一軒。

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玄関のドアを開けた瞬間、カビと湿気が入り混じった臭いに鼻孔を刺激され、思わず大きなくしゃみが出た。(中略)

ドアを閉めると光の帯は消え、あたりは薄暗くなった。覗き窓からもれるわずかな明かりを頼りにコンクリートの長い通路を進んでいく。幅が狭く、奥にいくほど暗くなっていて見えづらい。四分の三ほど行ったところで低い階段を登り、一段高くなった床をなおも進んで沓(くつ)脱ぎのスペースにたどりついた。(中略)

突き当りのドアのなかは一転してたくさんの光にあふれていた。地上に出てきたモグラさながらに思わず目をつむる。薄いまぶたの裏に黄色い光がちらつき、なかなか消えない。天井の窓から降りそそぐ光に温められ、室内の空気はびくとも動かない。川側の窓を押し開けると、ほどけて外に移動し、替わりに風が入ってきた。(P.8「船の舳先にいるような」)

 

物語の冒頭ではこんな風に描かれています。

人が玄関のドアを開けて、廊下を進み、窓からの光に目を細めているという、ごく平凡でありながら、なかなか間取りだけでは想像しづらい場面が、大竹さんの文章によって色づいた場面として、目の前に立ちあがっていく。

「間取り」があってこそ、感じられる面白みだと思います。

 

 

間取りというものは妄想し放題です。そしてこの本を読む限り、大竹さんの「妄想力」はいい意味で変態的なまでに緻密です。

今までにない「間取り」を駆使した異色の小説を、ぜひ手に取って楽しんでいただければと思います!

 

ぜひご一読を。

 

P.S.

すべての間取りはきちんと別冊にもまとめられています。傍らに置きながら物語を読み進めると、より読みやすくて良いかもしれません。(読者思いのありがたい付録!)

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